雲游拳房BLOG

螳螂門を中心に、武術全般について取り扱います。当BLOGは螳螂門を代表するものではありません。 文責はすべて片桐個人に帰します。無断転載・無許可の引用を禁じます。

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螳螂門成立の一側面

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曲滋君老師蔵 『二十八将台十八般兵器総集』譜

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国家体委蔵 清代拳譜

 近代以降における螳螂門の理論構築の痕跡を覗うことができる資料である。根本先生の指摘されていた、門の確立に尽力された先達たちの貪欲なまでの姿が浮かび上がってくる。
 『姜化龍~宋子徳拳譜』の「短打理論」(八歩螳螂門、衛笑堂老師の著作中にも記載あり)とこの「鞭論」が同じものであることは、対比すれば一目瞭然である。
 二葉の写真の拳譜とも、話題の書である『少林衣鉢真傳』(全四巻)の一部分(器械篇・第三巻)と推測される。この書は螳螂門の成立に深く関わっていると思われる。七長八短、八剛十二柔、翻車轆轤等の重要な理論はこれが原典と考えられるからだ。ただし書中に述べられる技術内容、名称とも現行のものとは大きく異なり、現代の山東螳螂門との関係は希薄といわざるを得ない。
 最近大陸側の若手の研究者により、この書の本格的な考証が始まっている。今後の研究発表を注目したい。


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崔寿山太師爺著 太極螳螂拳譜より抜粋(その三)

 傳授歌

費銭費力費精神、不可軽傳不義人、
識者得授応無価、凡夫何必説千金。

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李昆山太師爺 (その四)

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太極梅花螳螂門 Hao斌先達

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李昆山太師爺 (その三)

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Hao二老道 Hao恒禄先達(その二)

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曲滋君老師提供

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Hao家門太極梅花螳螂拳

 梁学香師祖の次の代に、有名な姜化龍師祖のほかに赫蓮茹(赫宏)師祖という拳師がいる。この方が赫家門、すなわち太極梅花螳螂門(梅花太極螳螂門の説もある)の祖である。赫家は螳螂拳以前にも家伝の武術(羅漢拳?および太乙槍等)で既に盛名があり、「神槍赫」のあだ名を代々受け継いでいた。赫宏師祖は青年期の終わりから中年期に掛けて、梁学香の子である梁進川(敬川、景川)師祖と出会い、把兄弟(義兄弟)の関係を結び、そのまま螳螂門に入ったと伝えられる。いわゆる現在梅花系と呼ばれる螳螂門の道統を継いだが、それだけに飽き足らず、七星系の内容も貪欲に吸収し、更に一族一門の内部で次々と内容を発展させていった。赫宏師祖は螳螂門への参加こそ遅かったものの、後に行われた民国政府による武術実態調査では、煙台八大名師の一人に挙げられ、「螳螂赫宏」(赫家拳房)の名はつとに名高い。ただし赫家門としての完成は第二代を待たねばならなかったと私は考える。理由は赫宏師祖御自身の早世(わずか五十歳と聞く)、「赫家五虎」(実際は六人)の存在である。赫宏師祖には多くの子が居り、武術で有名なのはそのうちの六人の兄弟である。上から恒議、恒禄、恒常、恒信、恒坡、恒祥である。彼らはそれぞれ類稀なる実力を備え、名家の末に恥じぬ存在であった。彼らの手によって赫家門は完成した。そのうちの一人は故郷である廟后村に武術を伝えるために帰郷し、残りの五人が煙台で「五虎」とあだ名されたという。しかし何時の時代でも同じことかも知れないが、動乱は武藝に秀でた彼らを求め、各地の軍閥や国術館に招かれ、一人また一人と煙台を旅立ち、その多くは再び戻ることがなかったという。最後まで煙台に残り赫家拳房の灯火を継いだのは、赫四彪子こと赫恒信先達であった。姜沂老師はこの赫恒信先達の徒弟である。第三代に当たる赫斌先達は赫二老道こと赫恒禄の子である。祖父そして父に学び、更に技芸を高めるため紀春亭(姜化龍系)に随い摘要を学び大成した。現代(80年代)の中国にまで武術を伝え、今も多くの徒弟達がさまざまな場所で活躍している。
注…Hao=[赤+おおざと]、読みにくいので赫の字で代用しました。

以前の日本の螳螂拳情報は殆どが台湾香港からのものに限定されてきました。台湾ではなぜか赫家門の伝承は詳らかにされてきませんでした。わずかに高道生氏の記述、韓慶堂先達の徒弟である李茂清氏の習武経歴の中にその姿を垣間見るだけでした。しかし中国北方の地では名門の誉れ高い、多くの門徒を持つ一門です。日本にも数名の伝人がいると噂を聞きますが実態は明らかではありません。老螳螂拳研究会では、王秀遠老師の入門徒弟である青砥満師兄、大野徹兄、そして劉長功老師の学生である谷口師弟がこの螳螂拳を伝えています。門の詳細は彼らからの発表を待ちます。この文章にあたっては、曲滋君老師(志軍、志君の異字別名有り。赫恒禄の親外孫。赫斌先達の徒弟)からお聞きした情報と姜沂老師の回憶を基に作成しました。

近い将来に王秀遠老師の来日講習会が行われる予定があるそうです。日本の雑誌「武術」でも80年代終わりに山東螳螂門を代表する名師として紹介された老師です。その技にはますます円熟が加わり、更なる高みを感じさせます。伝統螳螂拳の技を現代に示せる数少ない拳師です。講習会は一般公開予定との事ですので、興味のある方は詳細の発表をお待ちください。

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崔寿山太師爺著 太極螳螂拳譜より抜粋(その二)

論力与勁之別
 陷于肩背者謂之力,能倏達于四肢者謂之勁。拳術之用,不貴于多力而貴于有勁。勁不能久有,而能時用不竭;力雖可以持久,而不能達于四肢,不通于応敵。如農夫負重,行赤日中而不喘,力大氣和也。然使以手撃物,其着物也必軽。善拳術者多無担負之力,然當其手者*跌尋丈外,此力与勁之別也。勁之應敵也,如矢之離弦,其著于身也,如蜻*点水,一着即止。学者不明夫力与勁之別而漫然習之,拳易演而身益陷,一式未完而已氣喘汗出,自謂用尽平生之力,究其着于人者無機。此無他,不知透出肩背而易勁之法也。其法是在于,初演時不多用力,手手用勢吐氣出,習之日久,肩背之力自然流通,然後再求之穏,斯過半矣。

*文章自体は不肖生(向然)氏の著作「拳術」より転記されたものと推察される。
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七星螳螂門 羅光玉先達

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崔寿山太師爺著 太極螳螂拳譜より抜粋(その一)

 論勢
 勢之義有二,在于己者日蓄,在于人者為乘。拳手以蓄勢為体,乘勢為用。学者須勉其在己者,然後能求其在人者。己能蓄勢,敵雖無勢可乘,己已立于不敗之地,否則敵雖有可乘之勢,而己有体無用,亦不足以御敵。蓄勢之法,在于鎮静,能鎮静,則能察敵情,能察敵情,則知所攻守矣。兵法所謂,守如處女而動如脱兔者也。

*原本は手抄本。現在、老螳螂拳研究会所蔵。文章自体は不肖生(向然)氏の著作「拳術」より転記されたものと推察される。
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