雲游拳房BLOG

螳螂門を中心に、武術全般について取り扱います。当BLOGは螳螂門を代表するものではありません。 文責はすべて片桐個人に帰します。無断転載・無許可の引用を禁じます。

Hao家門太極梅花螳螂拳

 梁学香師祖の次の代に、有名な姜化龍師祖のほかに赫蓮茹(赫宏)師祖という拳師がいる。この方が赫家門、すなわち太極梅花螳螂門(梅花太極螳螂門の説もある)の祖である。赫家は螳螂拳以前にも家伝の武術(羅漢拳?および太乙槍等)で既に盛名があり、「神槍赫」のあだ名を代々受け継いでいた。赫宏師祖は青年期の終わりから中年期に掛けて、梁学香の子である梁進川(敬川、景川)師祖と出会い、把兄弟(義兄弟)の関係を結び、そのまま螳螂門に入ったと伝えられる。いわゆる現在梅花系と呼ばれる螳螂門の道統を継いだが、それだけに飽き足らず、七星系の内容も貪欲に吸収し、更に一族一門の内部で次々と内容を発展させていった。赫宏師祖は螳螂門への参加こそ遅かったものの、後に行われた民国政府による武術実態調査では、煙台八大名師の一人に挙げられ、「螳螂赫宏」(赫家拳房)の名はつとに名高い。ただし赫家門としての完成は第二代を待たねばならなかったと私は考える。理由は赫宏師祖御自身の早世(わずか五十歳と聞く)、「赫家五虎」(実際は六人)の存在である。赫宏師祖には多くの子が居り、武術で有名なのはそのうちの六人の兄弟である。上から恒議、恒禄、恒常、恒信、恒坡、恒祥である。彼らはそれぞれ類稀なる実力を備え、名家の末に恥じぬ存在であった。彼らの手によって赫家門は完成した。そのうちの一人は故郷である廟后村に武術を伝えるために帰郷し、残りの五人が煙台で「五虎」とあだ名されたという。しかし何時の時代でも同じことかも知れないが、動乱は武藝に秀でた彼らを求め、各地の軍閥や国術館に招かれ、一人また一人と煙台を旅立ち、その多くは再び戻ることがなかったという。最後まで煙台に残り赫家拳房の灯火を継いだのは、赫四彪子こと赫恒信先達であった。姜沂老師はこの赫恒信先達の徒弟である。第三代に当たる赫斌先達は赫二老道こと赫恒禄の子である。祖父そして父に学び、更に技芸を高めるため紀春亭(姜化龍系)に随い摘要を学び大成した。現代(80年代)の中国にまで武術を伝え、今も多くの徒弟達がさまざまな場所で活躍している。
注…Hao=[赤+おおざと]、読みにくいので赫の字で代用しました。

以前の日本の螳螂拳情報は殆どが台湾香港からのものに限定されてきました。台湾ではなぜか赫家門の伝承は詳らかにされてきませんでした。わずかに高道生氏の記述、韓慶堂先達の徒弟である李茂清氏の習武経歴の中にその姿を垣間見るだけでした。しかし中国北方の地では名門の誉れ高い、多くの門徒を持つ一門です。日本にも数名の伝人がいると噂を聞きますが実態は明らかではありません。老螳螂拳研究会では、王秀遠老師の入門徒弟である青砥満師兄、大野徹兄、そして劉長功老師の学生である谷口師弟がこの螳螂拳を伝えています。門の詳細は彼らからの発表を待ちます。この文章にあたっては、曲滋君老師(志軍、志君の異字別名有り。赫恒禄の親外孫。赫斌先達の徒弟)からお聞きした情報と姜沂老師の回憶を基に作成しました。

近い将来に王秀遠老師の来日講習会が行われる予定があるそうです。日本の雑誌「武術」でも80年代終わりに山東螳螂門を代表する名師として紹介された老師です。その技にはますます円熟が加わり、更なる高みを感じさせます。伝統螳螂拳の技を現代に示せる数少ない拳師です。講習会は一般公開予定との事ですので、興味のある方は詳細の発表をお待ちください。
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