雲游拳房BLOG

螳螂門を中心に、武術全般について取り扱います。当BLOGは螳螂門を代表するものではありません。 文責はすべて片桐個人に帰します。無断転載・無許可の引用を禁じます。

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老螳螂拳研究会・六合螳螂拳への道(その一)

 老螳螂拳研究会としては、92年春に伊與久大吾師兄が根本一己先生を説得し、この拳門への入り口が開かれた。当たり前のことと思うが、研究会発足当時は王家太極螳螂門の研究が中心に据えられていた。そのため他の派と交流する事があっても、会として他の派を研究するということはあり得なかった。
 もちろんその他に六合を取り入れるきっかけとして、根本先生を始めとする四先生が、91年に煙台で開かれた「煙台市螳螂拳研討会」(国際螳螂拳聯誼会のプレ大会)に参加し、その場において袁翰光(袁君直系)、林述利(單香稜系)、趙国忠(單香稜系)の六合派の三拳師と交流され、研究会内でこの拳に対する興味が高まっていたことも遠因の一つとなった。
 93年より根本先生にお願いし、六合の老師を捜していただいたのだが、捜索の結果はあまり芳しくなかった。このとき王元亮師爺が煙台市の組織の枠組みから既に脱退されていた為、前述の体育運動委員会ルートを使えなかったこともある。(但しこのことは後々私にとっては非常に幸いした。)
 他にも根本先生から、女子全能冠軍で有名な張玉萍老師も六合螳螂を修められており、このルートに伝手があるが、どうか?と打診をいただいた。しかしあくまでも希望は伝統の六合螳螂拳師であったので、丁重にお断りさせていただいた。
 この当時、大陸の六合の情報といえば、前述の交流と中国の雑誌の記事くらいであった。そんな状況の中で、私のわがままを根本先生は快く聞いていただき、最後の手段として中国の旅行社を通じて捜すこととなった。先生からも念を押されたが、実際、これは一種の賭けでもあった。行き当たりばったりと言ってもよいかもしれない。限りなく素人に近い若者を先生として手配された、という笑えない話を噂で聞いたこともあったからだ・・・・。

( 続 く )

 後事を知りたくば、その二を御覧あれ!
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