雲游拳房BLOG

螳螂門を中心に、武術全般について取り扱います。当BLOGは螳螂門を代表するものではありません。 文責はすべて片桐個人に帰します。無断転載・無許可の引用を禁じます。

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「レフリー、フェアプレー、そしてルール」

武術が想定する戦いと現代武道との違いは、レフリーの存在とフェアプレーだろうか。
武術の世界でも戦いにおいて、レフリー役として見分役や立会人をおくことがある。
しかし実闘の場では、その見分役・立会人ですら中立ではないことが多い。
むしろいつ襲い掛かってくるか分からない相手だろう。
それ故、武術はそのような相手の前では、絶対に死力を尽くして闘ったりしない。
勝敗の判断、勝負を止める判断も一方的にレフリー役の人間にあずけたりはしない。
そもそも技術を全て見せるようなこともしない。
周りの環境と共に、レフリー役の人間をも常に意識を置き、情報収集を怠らない。

フェアプレーについても同じことが言える。
公明正大に相手と向き合い、技を応酬し合うことは、
武術においては、むしろ忌むべきことだ。
互いに胸を貸し借りし、技術をぶつけ合うのは、
自らの一門の中(道場の中)か仲間同士で行なうことだ。
武術の世界では、物理的な接触の前から、大いに策を弄し、
如何に一方的に勝負を終わらせるかが重要となる。
この勝負の終わらせ方も大切なポイントだ。
フェアであることは見た目上の勝負が終わった後の、勝者の特権だ。
現実の世相や国際社会を見ても、日本人(私自身も含む)は、
フェアプレー・公明正大・正々堂々とした戦いに幻想を抱き、
あまりにも囚われすぎているのだろう。

上記の話の流れに、
武術の世界はルール無用ですよね、と人から訊ねられる事がたびたびある。
この部分は勘違いをしてはいけないと思う。
確かに、中国(武術)の戦いに対する考え方は、その場のルールに拘泥することなく、
事前に情報戦や暗闘、政治力等を出来る限り使って策を施し、
如何に自分に有利な様に戦いを収めるかにある。
但し、上達の途上においては、ルールは厳格に存在している。
これはある先輩の方に啓発を受けた考え方だが、
「何事においてもルールが無ければ技術は上達しない」のだ。
制限・制約を加えてこそ、技は磨かれる。
問題は武術ではルールが多層であり、やや複雑に設定されていることだ。
一貫した考え方は必要だが、初学者と上達者、個人と集団、徒手と武器ではやはり異なる。
更には、目的や段階によっても大きく違うのだ。
ここを充分に理解しなければ、ルール無用という誤解に自分自身で前途を狭めていくこととなる。
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