雲游拳房BLOG

螳螂門を中心に、武術全般について取り扱います。当BLOGは螳螂門を代表するものではありません。 文責はすべて片桐個人に帰します。無断転載・無許可の引用を禁じます。

恩師の吉日を祝いて

7月27日、今日は恩師の生日にあたる。
縁というもの、人との出会いとは本当に不思議なものだと思う。
師と出会う前には現在の自分の姿は想像できなかったし、
またその頃進もうと目指していた方向ともまったく違う。
単なる結果の善し悪しではなく、出会いの中で影響を受け、
そして自分自身が選び変わってきた姿に世の面白さを感じる。
本当に感謝しても仕切れないものがある。

幾分か前の話だが、「リトル・ブッダ」という映画を見た。
映画の出来不出来や宗教的な方面に関しては専門外であり、
しかも私自身大いに世情に疎いので分からない。
しかし中の場面、設定に非常に興味を覚えた。
所謂、生まれ変わりを描いた部分だ。
映画に出てくるチベットの高僧は、
生まれ変わったはずの自分の師を探して西洋にまで訪れる。
うろ覚えだが、
その後、仏陀の説話と絡めながらストーリーは続き、
生まれ変わりの候補者が、
主人公である西洋人の男の子と合わせて三人現れ、混乱し、
最後にはそれぞれが師の生まれ変わりだと正式に認定される、
というものだったと思う。
興味のある方は是非レンタルビデオ等で直接確認していただきたい。

弟子が生まれ変わった自分の師を探し求め、見つけ出し、導く。
これは平均寿命が短い土地、しかも一生涯を掛ける師徒関係の世界では、
案外普遍的な感覚なのかもしれない。
確かに、生まれ変わりという感性は現代科学には相容れない。
しかし傳承とはこういったものなのかもしれないと思う。
師が弟子を見つける、それは単なる技術の教授以上に、
弟子の中に自分の師の姿を探すことに他ならないのかもしれない。
林基有師父は徒弟たちに單香稜師爺の風格を求められた。
私自身、もしいずれ誰かに武術を傳えるならば、
その姿の中に林師父や根本先生、多くの老師たちの姿を探すだろう。
姿を見出し、そして育て、導く。
そう考えれば、作中で描かれた生まれ変わりとは傳承そのものだ。
門とは本来そうやって傳えられていくものではないだろうか。
銀幕中の死期迫った高僧は最後に三人に微笑み話す。
「つぎはあなたたちが私を探してください」と。
私も一生を掛けて、師父、そして恩師の姿を探していこうと想う。

恩師の生日に際しふと色々な想いにとらわれた。

師の生日を祝して、

   生日快楽!
スポンサーサイト

私に関して | コメント:1 | トラックバック:0 |
<<追悼王菊容老前輩 | HOME | Face to>>

この記事のコメント

お礼が遅れました。
お祝いのメッセージありがとうございました。今後も精進していきたいと思います。
まだまだ自由には体を動かすには至っていませんが、今年の楡山村旅行で少し考えが融解したような気がします。次は姜先生の軌跡を追いましょう。
2006-08-06 Sun 13:03 | URL | 不機嫌な天使 #N2Kzfx1I[ 編集]

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |