雲游拳房BLOG

螳螂門を中心に、武術全般について取り扱います。当BLOGは螳螂門を代表するものではありません。 文責はすべて片桐個人に帰します。無断転載・無許可の引用を禁じます。

清朝 善撲営 記念写真

xpy.jpg

満族の国家である清朝には、国の武術人材養成期間として善撲営が存在した。

主な修業内容は貫Jiao(満族の伝統組討技)であり、内部は明確な実力ランキングにおいて等級が分けられていた。民間からの武藝をも積極的に吸収しており、六合拳、岳氏連拳、太極拳、八卦掌、形意拳、通臂拳なども一部で併習されていたと記述がのこる。

日本相撲の部屋や親方の制度のように、引退した撲虎(力士)らによって民間に練習場が開かれ、善撲営を目指す次の世代が育てられていた。

辛亥革命によって国家が消滅すると共にその技藝は民間に埋もれ、その後人民共和国時代に入ってからの40年にも及ぶShuaiJiao(率角)の冷遇期により、今では貫Jiaoの全貌を伝える人間は非常に少ないといわれる。
スポンサーサイト

その他 | コメント:3 | トラックバック:0 |
<<螳螂門 「鐵胳膊王二虎」 王松亭先達 | HOME | 六合八彩門 于斐堂先達 (余斐堂先達)>>

この記事のコメント

うーん、凄すぎる。
有名なんですか、これ?
初めて知りました。
2006-01-24 Tue 22:50 | URL | 青砥 #-[ 編集]
広大な中原の地で、漢族(歴代王朝)、蒙古族(元朝)の国家につづいて、近隣諸国を従える宗主国となった清朝は、先の宗主国がそうであったように、文化や外交などの様々な面で王者の威風を示さなければならなかったようです。もともと武力に優れた騎馬民族系の満族は、自国の武力維持の意味も含めて善撲営を設立しました。その優位を示すためにも、他民族を多く抱える国内に対しては定期的にオープンな大会を催し、国外に対しては外交の場で親善(?)試合を行っていたようです。これらの戦いはさまざまなエピソードを生み出し、伝説へと昇華していきました。試合は勿論、ShuaiJiaoのルールで行われましたが、中には拳脚を揮う不届き者もおりました。清朝では王者の面子を保つためにも、どのような相手に対しても勝ちを得るべく、血の滲むような訓練が国立機関の内部で行われていたようです。清朝には様々な部署が存在しましたが、格技だけを目的とした部門はこの善撲営だけでした。有名無名を現代の評価で言えば、まったくの無名です。様々な原因が考えられますが、ここで書かないほうがよさそうですので書きません。v-267
2006-01-25 Wed 12:28 | URL | 片桐陽 #u6N1DTGI[ 編集]
はじめまして。
沖縄相撲と韓国シルムのルール上の関連性を調べていて
この記事にに辿り着きました。
実際に琉球や朝鮮の進貢使節が試合(=客竈)をしていたのか?
その試合内容はどんなものだったか?
料竈とのルール上の違いはあったのか?を調べたいと思っているのですが、
>>外交の場で親善(?)試合を行っていたようです。
>>試合は勿論、ShuaiJiaoのルールで行われましたが、
>>中には拳脚を揮う不届き者もおりました。
これらを証拠付ける文献資料などございましたら是非教えてください。
2010-06-18 Fri 23:14 | URL | alphabethankakueisuji #-[ 編集]

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |